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放った弾の向かう先。(※改訂版)

……記事の改訂版なんて出すの初めてですわ(笑)


自分の頭の中でようやくちゃんとまとまってきたので。 リベンジ編。
決して楽しい話じゃございませんので、ご興味有る方のみどーぞ。↓




―― 私の好きな、とある小説のお話から始めてみようと思います。


芥川龍之介の短編小説に 『或日の大石内蔵助』 という作品があります。
タイトル通り、かの有名な赤穂浪士の討ち入り事件について描いたお話ですが。
物語は討ち入りも済んだ後、判決待ちで細川家に預けられている身の上の
大石内蔵助のところへ討ち入り仲間の藤左衛門が話をしに来たことから始まります。

藤左衛門は内蔵助に、近頃江戸で、仇討ちが流行っているという話をします。
米屋の丁稚が、殴られた主人の敵と、紺屋の職人を待ち伏せて倍返ししたらしい。
職人は大怪我を負ったのに、世論はみな丁稚に味方しているのだという。
同じく討ち入り仲間の忠左衛門はそれを聞いて喜ぶけれど、内蔵助は浮かない顔。
何故なら自分達の起こした事件が頭から肯定されるべきものでないと気づいたから。
そこで内蔵助はあくまで謙虚な姿勢でもって、やんわりとそれを否定します。
我々の仲間には心変わりをした者も多く、賞賛されるような事はしていないのだと。

ところが話題はそこから更に、内蔵助の思いも寄らなかった方向へと転がります。
討ち入り仲間達は皆、心変わりした元の仲間を散々に罵倒し始めたのです。
中には内蔵助の親族に当たる者もいたし、後々詰め腹を斬らされた者もあったのに
皆の口調はどんどん熱を帯びて、彼らを畜生呼ばわりし、殺されて当然のように言う。
その中で独り内蔵助は、寒々しい気持ちでそんな仲間達を眺めていました。
内蔵助も彼らの変心を不快には感じていましたが、それに理解も示していました。
彼らが心変わりした理由はその殆どが当然のなりゆきであると知っていたからです。
自分達を讃える為に彼らを貶める、その理由こそが理解出来なかったのでした。

内蔵助はもう何も言えず、密かに苦い顔をしながら、黙って聞いていました。
盛り上がっていた周囲はその姿を見て、それを勝手に 「謙虚」 と理解しました。
そして駄目押しのように、内蔵助が討ち入り以前に廓遊びしていた話を持ち出し
遊び歩くふりをするのはさぞかし辛かっただろう、なんて偉大なお人だ、と
廓遊びの総てを美談にして、口々に、むやみやたらに、内蔵助を讃え出したのです。
内蔵助は一切の誤解に辟易し、その誤解を予想しなかった自身にも反発しますが
もう誤解は解き様も無く、彼は勝手な賞賛でもって後世まで語り継がれるのでしょう。




……とまあ、こんなお話なんですけどね。 情緒無くまとめてしまうと(爆)


要は、人間は自分の好きなもの、信じるものを美化するのが好きって訳なんですが。
美化して、それを “善” と崇め、 “悪” は皆でとことん叩きのめしたい。
良いものは良いものとして、悪いものは悪いものとして、明確なのが好きなのかな。
正しいものは一点の汚れも無く。 間違っているものに良いところは一つも無く。

大石内蔵助は、大多数の世論では “武士の鑑” 、汚れ無い聖人君子な訳です。
討ち入りはひたすらに主君の敵討ちの為であり、廓遊びは敵の目を欺く為。
内蔵助が本当は何を思っていたのかなんて誰も知らない、断言出来ない筈なのに
世間も、仲間達ですらも、彼に勝手な理想を重ね、美化し、それが真実のように語る。


世間も、それから、仲間達もね。 皆、内蔵助を心から尊敬しているんですよ。
憧れ、尊敬し、敬愛してるからこそ、美化する。 その総てを美談にしたい。
けれど哀しいことに、彼らのその行為こそが何よりも内蔵助を不快にさせているの。
内蔵助は美化されるのに戸惑い、うんざりし、だけどそれを覆す手立ても無く。

内蔵助を敬愛するからこそ美化したい、その気持ちは解るし、責める気も無い。
彼を讃えたいならそうしたって構わないと思う。 気の済むまで万歳したら良いさ。
けど、それはあくまで勝手な自分の意見と自覚して言うべきことだと思うよ。
内蔵助にしか解らない彼自身の考え、想いまで、事実のように語るべきじゃないし
事件そのものに対しても断言口調で言うべきじゃない。 当事者でもないのに。


赤穂浪士の討ち入りと言えば吉良義央、悪役キャラとして描かれがちな彼ですが
文献では、領民に非常に優しかった等の史実も残っているんですよね。
吉良にしろ、討ち入りから脱落した浪士達にしろ、罵倒される程の理由は無く
けれど何故か “悪” という記号を与えられ、世論から理不尽に叩かれ、憎まれて
その一方で内蔵助を始めとする赤穂浪士達がその言動総てを美化され、讃えられる。

たとえば内蔵助の廓遊びにしたって、本当は単なる息抜きだったかもしれないのに。
だって息抜きくらい人として当たり前だし。 そして内蔵助は、人間なんだし。
四六時中仇討ちのことだけ考えて、廓遊びも本当はしたくなかったのに作戦の内で、
……っていう 「大石内蔵助」 が世論的にも仲間内でも理想像なんだろうけども。
しかしそんな男いるわけないじゃんか。 長所と短所を併せ持ってるから人間なのに。
そういう、世間の求める完璧な男、いたらむしろ気持ち悪いよ。 出来すぎてて。





       *       *       *





地下に沈めました第一稿記事で、ぶんちゃんのことを書きました。
手抜きで申し訳無いんですけど(爆)これはそのまま使わせて頂きますね↓



私の初恋ジェンヌさんは、ぶんちゃんだった。 初めっから凄い勢いで傾倒した。
当時集めまくったヅカ関連の本の中、確か 『宝塚ファンタジー』 のVol.8。
ディナーショーについてのインタビュー記事で、ぶんちゃんが答えていたことに
ぶんちゃんファンになったばかりだった私はショックを受けたことが有る。

ぶんちゃんは、もうここまで来たら、いつ辞めても後悔は無いのだと言った。
それでもタカラヅカで男役を続けているのはファンのためなのだ、と。
父親から、自分の我侭ではどうにもならないくらいファンはついてきている、と
そう言われたのだと語っていた。 確か専科に異動する、少し前の記事だった。

ショックだった。 私はヅカの舞台の上にいるぶんちゃんを、もっと見たかった。
ファンになったばかりで。 もっともっと見たいし、見られると思ってたし、
だから他でもないぶんちゃんの口から、未練は無いと言われたのがショックだった。
当時はその記事、読まなかったことにした(爆) 我ながら往生際悪かったけど。


人間っていうのはすごい我侭で、なんだって自分の望む方向へと動いて欲しいし
自分の大好きなひとには自分の望む通りに振る舞い、行動して欲しいと願う。
そしてそれを、自分のためでなく、あくまで本人の意思として見せて欲しいんだ。
私はぶんちゃんに、 「自分は好きで男役スターを続けているのだ」 とか
「やるからにはトップになりたいと思う」 とか 「トップになるまで続けたい」 とか
きっとそう言って欲しかった。 だって私は、男役のぶんちゃんが好きだったから。

実際のところ、ぶんちゃんの本心がどこに在ったのかなんて知らないんだけど。
ぶんちゃんは退団する時、それが劇団側の意向だとキッパリ言っちゃったひとで
その時の発言と、雑誌記事での発言、矛盾してるような気がしないでも無いし。
ただ、私的にはぶんちゃんは真っ直ぐな、正直なひとという印象があって
だから退団が不満だったというよりは、嘘を吐きたくなかっただけかなとも思う。
勿論、その総ては私の主観だから。 本当のところは、今も解らないままだけども。


でも私は。 ぶんちゃんが退団するその時まで、ぶんちゃんが大好きで
けれど1作トプさんになったことに対してはあまり不満無く見送れたんだった。


運も良かったと思う。 私がぶんちゃんファンになった頃、新専科制度が導入されて
だから私の見ていたぶんちゃんは、その殆どが雪組の舞台の上での姿ばかりで
ぶんちゃんが長い時間を過ごした星組さんも、のるさんの隣りというポジションも、
そこに想い入れはハッキリ言って全く無く。 雪組での舞台姿に違和感も無く。
当時辛い想いをしてたであろう “のるぶん” ファンの方々の気持ちなんて解らずに。

そして、 『パッサージュ』 で少し絡んで以来、ぶんちゃんのお気に入りだったらしい
まひるちゃんを相手役としてトプさんになり、ハリーにアテガキしてもらって、
そんな恵まれた公演での卒業だったから。 不満なんて無かった。 ただ嬉しかった。


ぶっちゃけると私は、 “1作トップ” それ自体に対しては、憤りも嫌悪も無いんですよね。

正直言うと、ぶんちゃんの退団の時にも、 「卒業」 に対する寂しさは有ったけど
作品を底からアテガキしてもらったり、センターに立ってる姿が見られたり、
そういう “トップの特権” みたいなのが一度味わえただけでも十分に嬉しかったし。
だって、 「候補」 は多いけど、その誰もがトプさんになれる訳じゃないから。
なりたくてもなれないひとは沢山いて、なりたくなくて、なってしまうひともいて。
トプさんになれるのは “当たり前” じゃなく、恵まれているのだと私は思ったから。
――だからむしろ哀しかったのは、そのときに一部でコムさんが叩かれたこと。
自分の大好きなひとの残した余波が大好きなもうひとりを押し潰そうとしているようで
それがただただ、哀しかった。 そんなの、ぶんちゃんの望みとは思えないのに。


誰も、気づいているひとが、いなさそうに見えるのが不思議でしたよ。

自分の望みと、自分の好きなひとの望みと、全く同じだなんて誰にも言えないのに。


ぶんちゃんが何作主演続けたかったのかなんて、ぶんちゃんにしか解らないんだよ。
コムさんがトプさんになりたかったのかなんて、コムさんにしか解らないんだよ。
見続けたかったのは自分だよね。 好きだから見たくて、ずっと見ていたくて、
でもそれは、ぶんちゃんが 「見ていて欲しい」 って言ったから見ていた訳じゃない筈。

ところかまわず銃弾を放たなきゃ、気がすまないんだろうことは理解出来るよ。
だってそれ私もやったことだし。 いつとは言わないけど。 みっともなくて言えない。
けれど、少し頭を冷やそうよ、とは思う。 その銃口、今、どこに向いている?
自分でも気がつかないうちに思わぬ方向を向いている、そんなのはよくあることで
そのまま撃ったら誰にあたるか解らないよ。 誰を貫いてしまうか、解らないんだよ。




…………すっごく遠回りな言い回しで、結局私が何を言いたいのかと言うと。




ぶんちゃんが本当は何を思っていたのか、解らないからこそ、色んな可能性が有って。

実はセンターに立ちたいとずっと思ってて、何作もトップをしたかったかもしれない。
トップになるとかよりもむしろ、のるさんのお見送りをしたかったかもしれない。
或いは、雑誌で語っていた通りに、ファンのためにトプさんになったかもしれない。

私はぶんちゃんに 「トップになりたい」 「なれて嬉しい」 って言って欲しかった
けれどそんなのは私の希望で、本当のところなんて解らない。 ぶんちゃん自身にしか。


今になったからこそ言える話だろうけど、ぶんちゃんが卒業していくときに
コムちゃんを叩いたり、時には星組を継いだタータンを攻撃したりしたひともいて、


コムちゃんがぶんちゃんを、或いはトウコさんを、おっちょんさんを追い出した、
ぶんちゃんは本当は続けたかったのにコムちゃんのせいで辞めさせられた、
そんな風に言うひとがいたけども。 ぶんちゃんの気持ちなんて、どうして解るの?
もしもぶんちゃんが、1作でも、ファンを想ってトプさんになったのだとしたら。
そう言うことは誰よりもぶんちゃんの気持ちを踏みにじることになると、私は思うけど。

本当はぶんちゃんが継ぐ筈だった星組を、なんでタータンが継ぐのかと言ったひとも。
確かに星組を継いでいたら、状況的に、ぶんちゃんは2作以上やったかもしれない。
でも、だからってタータンを叩く正当な理由なんて無いと思う。 どこにも。
だってタータンは星組に異動してきただけで。 ぶんちゃんを追い出した訳じゃない。
むしろ慣れない組を継いで大変な想いをしているのは、タータンも同じ筈だった。


恐いのは、ぶんちゃんは “可哀想” だから何言っても良いと考えるひとがいたことだ。


ぶんちゃんは 「追い出されて可哀想だから」 、コムちゃんを叩いても良い。
ぶんちゃんは 「1作で可哀想だから」、タータンを叩いても良い。


―――― 私は、それは、違うと思う。


もっと男役のぶんちゃんが見たかった、そう言うのは全然構わないと思うよ。
まさかの雪組で就任したぶんちゃんをマンセー状態に応援したって良い。
1作なんて勿体無いくらいにぶんちゃんが輝いてる!!とか、そんな風に言って
ぶんちゃんのサヨナラ公演を盛り上げるのはむしろ、すごく良いことだと思いますよ。

でも、ぶんちゃんは本当はずっとトップさんになりたかったのに、とか、
そんな風に決めつけて言うのはオカシイと思う。 そんなの応援でも何でも無い。
それから、 “雪組のぶんちゃん” を応援するなら、そっちに専念すべきであって
星組を継ぐべきだったとか、のるさんを見送るべきだったとか、言っちゃ駄目だよね。
だってそしたらタータンの立場が無い。 て言うか、居場所が無い。
いくら “可哀想” だって、誰に何言っても良いわけじゃないと思うんですよ。
(そもそもが可哀想なんて言い方も大概、ぶんちゃんに失礼な気がするけども)



ぶんちゃんが好きで、コムちゃんも好きだった、私的には辛い世代交代で、
……でもぶんちゃんはさほど美化されなかった気がするから、それは良かった。
最初に語った 『或日の大石内蔵助』 の中の、内蔵助のように
散々に美化されていたとしたら、私にとってはもっと辛かった気がするから。

世論や仲間達が内蔵助を美化したのも、そのために元仲間を罵倒したのも、
彼らにとっては、総ては敬愛する内蔵助のためだったのだけれど。
でも結果的にそれは内蔵助に返って、内蔵助を傷つけることになったのであって
―― だから、むやみに放った弾は、どこの何を貫くか解らないと思うんです。




そして、 「ペンは剣よりも強し」 なんて言葉があるように、
言葉の力は恐いくらいに強く、本人が思う以上に影響力が有るものだから。
私含め、ブログ運営してるひとは勿論、コメントを残す読者様方も
自分の発する言葉が不特定多数に影響を与える可能性は、考えるべきで。

自分の目に映ったもの、耳に入ったものをそのまま語るにしてもね。
それにはどうしたって自分の主観が入るから。 断言なんてしちゃいけない。
自分の主観が入っていることを、自分自身が忘れてしまってはいけない。


誰が自分の “想像” を鵜呑みにしてしまうかなんて、解らないから。


そして、自分の、ともすれば “歪んだ想像” を鵜呑みにした誰かが
どこかで誰かを言葉でもって 「撃ってしまう」 可能性も忘れちゃいけない。


―― その時撃ち殺されるのは、自分のだいすきなひとかもしれないんだから。







   ●ちなみに。●


『或日の大石内蔵助』 は「芥川龍之介全集2(ちくま文庫)」 に収録されてます。
私が書かせて頂いたあらすじはかなりいーかげんだと思いますので(爆)
ご興味有る方は是非ともお読みくださいませ。 注は多いけどかなり面白いです。

「芥川龍之介全集2」 は短編集で読みやすいのでオススメですよ☆(と、何気に宣伝)




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【2006/12/29 23:32】 | 戯言。 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
<<ただ、ありがとうという気持ちで。 | ホーム | あ、そうだ。>>
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2006/12/31 00:03】 | #[ 編集] | page top↑

>Kさん。

遂にすっきりして頂けたみたいで何よりでございます(笑)

ええ、私はそのいざこざの時、ぜんぜん大丈夫だったんですよ。
記事に書かせて頂いた通り、運も良かったんですけどね。
でも私のお友達なブロガーさんでも、元ぶんちゃんファンだけども
今はコムさんを好きで雪組を応援してくださってる方もいますし、
そのひとを好きだという純粋な気持ちがあれば、大丈夫なのかもなと。

仰る通り、何かのせいにしないと耐えられないのだと思います。
人間て弱い生き物ですからね。 私も含めて。
まあ私的には、劇団が悪いとも、言い切ることは出来ないのですが
(劇団て言い方がどこを指しているのか、あまりに曖昧な気もして)
いつでも舞台の上で輝く生徒さん達を信じていくしかないなと
最近はそんな風に思ってます。 自分の目に映るものが、全部かなと。

この小説は、注が多いので読むのは面倒ですけど(爆)オススメですよ♪
芥川氏の作品は(私が思うに)人間描写が鋭すぎるので
面白いけども、読むのにちょっと、体力が要りますけどね(笑)

【2006/12/31 00:44】 URL | トマ #-[ 編集] | page top↑
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