スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
彼の世界の中心は。@ 『睡れる月』 vs 『銀の狼』 比較論。

本当は、2月12日をすぎてから蔵出ししようと思っていた話。
……良いよね、これはカシ○ム語りでなく、作品論だもの(言い訳)


そんな訳で、式部卿宮様 vs レイ君の比較検証語りです。




先日、とあるコム担様(誰だかバレバレだ)(スミマセンりんださん)と
色々思い出語りしていた中で出てきた話題のひとつなのですが。

「私達、 『睡れる月』 ではちっとも泣けなかったんだよねー」

『睡れる月』 は今でも大好きな作品です。 DCで4回、青年館で1回観ました。
DCはりんださんと2人でツアーを組んで(笑)遠征したんですけど、
ラストシーンで客席がすすり泣きに満ちる中、私達ふたりは泣けず仕舞いで。
すっごいせつないし、感動で胸がいっぱいなんだけど、でも涙は出なかったの。
ハンカチまで用意してたのに(爆)なんでだろねー?って言い合ってたのですが。
(そして 『銀の狼』 では見事に泣かされただけに、謎は益々深まるばかり)


この2作品にどんな違いがあるのが、自分なりの結論が出たので。


……ちょー今更なんですが(苦笑)少し語らせて頂こうかと。

と言うかりんださんとの思い出語りの中で、このお話を持ち出した時に
テンパッて上手く説明出来なかった覚えがあるので(爆)こんなとこでリベンジを。
あの時喋ったこととほぼ同じ内容ですが良かったら読んでねりんださん(私信)




えーっと。 先ずこの2作品には至極似ている点が有ると思うんですよね。
……この2作品には、と言うより、宮様とレイには、と言った方が良いかも。

それは、主人公(=中納言 or シルバ)の変化を阻止したい、という願望。

宮様の下には、幼い頃から義理の弟である中納言が当たり前のようにいて、
物語の冒頭で将軍にうっかり目をつけられてピンチに陥った(笑)中納言に
宮様が助け舟を出したことからも解るように、ふたりは護り・護られる関係で。
都がゴタゴタした際に中納言が吉野に逃れ、そして戻ってこなかった時
宮様は 「何故戻ってこない…?」 と疑問(或いは、不満)を口にしている。
ラスト近くの 「都に帰れば(吉野であったこと全てを)忘れることも出来よう」
という台詞にも表れている通り、彼が自分の下へ帰ってくるのは “当然” であり、
中納言自身の 「吉野にいたい」 という気持ちは、理解出来ないもの、或いは
理解したくないもの、な訳ですね。 宮様にとっては。 (※あくまで私的解釈)

レイの場合は、約1年前に、記憶喪失の男(ミシェル)の命を救い、
彼にシルバという新しい名前を与え、殺し屋という職業も与えたのですが
シルバが失った記憶、つまりはミシェルとしての人生を取り戻したいと思い始め
そういうシルバの “変化” を阻止したいと考える、という構図になってますね。
レイの想いは 「(過去を追うのを止めて)俺と一緒にチュニスに来い」 とか
過去を探すシルバを諦めさせるためにミレイユを殺そうとした行動とか
その辺に如実に表れていると思われます。 これも、とっても私的解釈(笑)

中納言にしろシルバにしろ、望んでいるのは “現状からの脱出” ですが。
宮様は中納言の、レイはシルバの、その “変化” が止まることを願う。
そういう意味でこの2作品は、非常に似た構図を持っていると思うのです。
(作品全体で考えると大きな相違点も有るんですけど、そのお話はまた後ほど)


さてさて。 作品全体で考える前に、宮様とレイの、上記のポイントを比較。


宮様の場合は、自分が自分であるために、中納言を必要としているのだと思います。
物語中に何度か 「父上のように(家を護りたかった)」 という言葉が出てきますが
その辺から推測するに、宮様は “父親のようになること” を目指していたのではと。
で、 “父親” たるために、 “子ども” にあたる存在が必要だった訳ですね。
ひたすらに愛しみ護る存在。 であると同時に、絶対的に自分の支配下にある相手。
家を護らねばならない立場になった当時、まだ歳若かった(むしろ幼かった)宮様が
無理にでも “父親” たるためにも、 “子” の存在は不可欠だったのだろうと。

そんな宮様の本音が表れている(と思われる)のが、この台詞なんだと私は思います。
「私はそれほど強くは無い、お前にはその様を共に見届けてもらわなくては」
強さを持ち続けるためにも中納言が必要である、そんな想いの表れなんだろうな、と。


一方のレイの心理を考えてみると、実は、真逆の構図になってると思うんですよ。
宮様の場合は “自分が自分であるために、中納言が必要である” だったのが
レイの場合 “シルバがシルバであるためには、レイを必要とする” なんですよ。
何故なら “シルバ” は記憶喪失で、仕事も寝床もレイが用意している状況。
レイがシルバを必要、と言うよりは、シルバがレイを必要とする立場な訳です。

だからシルバが “ミシェル” の記憶を取り戻そうとする、ということは
ひいてはレイから離れていく、レイを必要としなくなる、ということなんですね。
それを阻止しようとするレイの望みは “シルバから必要とされ続けること” であり、
“自らの強さを保つため中納言を必要とする” 宮様とは、正反対になるのではと。


―― こんな風に考えると、私の中では、2作品の結末は全く違う意味を持つもので。


『睡れる月』 の場合、宮様の願いは、中納言の死をもって叶えられた結果になる。
弟には変わらず傍にいて欲しいと願う兄と、兄から自立することを望む弟と。
このふたりの各々の主張はどうしても対立するものだし、これもラスト付近にて
「都に帰れば忘れることも出来よう」 「心を殺して生きてはいけませぬ」 と
こんな会話を交わしていた時点で、ふたりの願いは決裂しているも同然ですから。
中納言が変化を望む以上、変わらずに兄の傍にい続けることは不可能な訳です。
けれど中納言は、命を落とす。 死ぬということは、そこで終わるということ。
もう変わっていくことも無いし、兄の傍から離れていくということも無い訳ですね。
腕の中で死んでいった(と言うよねアレは)中納言を、最後に、宮様が抱き寄せますが
あの動作には 「所有化の極致」 的な意味も込められてるんじゃないかと、私は。
(宮様の表情も哀しみとかいう感じじゃないもん…)(あくまで私的な感想ですけど)

つまるところ。 『睡れる月』 で、どうして私が泣かなかったのかと言うと、
せつない結末ではあるけども、スッキリまとまってるのも事実。 だから。
だって宮様の願いは結局、究極的な形で叶えられちゃってるんだもんなー。
そして中納言もそれを解って死んでいった(と私は思う)んだもんなー。
美しい人間愛が(壮絶な兄弟喧嘩の末に)成就したお話だもの。 私的には。
お兄ちゃんの愛を、弟も愛をもって受け入れて、ハッピーエンドなんじゃん!と。


ところが 『銀の狼』 の場合は、レイの願いも確かに叶えられてるんだけども
結末は救いが無いんですよ。 何故なら、生き残ったのはシルバの方だから。
レイは良いと思うの別に(笑) 死をもって、シルバの中で永遠の存在になって
シルバ的には一生消えない傷だろうし、それはレイ的には本望なんだと思うし。
けど消えない傷を残された方は、たまったもんじゃないですよ(苦笑)
そこに残されたシルバには、歌詞にも有る通り “生命の訳さえ見つからない” 。
自分が生きているその意味も解らず、一生の傷を抱えて生きていくんですよ。
多くのひと達を殺した傷口の上に、自分を愛した男を殺した傷を、更に重ねて。
(さっきから 「愛」 「愛」 連発してますが、人間愛ですよ、変な意味でなくて)

『銀の狼』 も 『睡れる月』 と同様に、願いは成就されてるんだけども
ただ、願いが叶ってスッキリした方が死んでいってしまうから。
残された方が大きな傷を抱えていて、しかもソレ、主人公だから(爆)
うっかり入れ込んで見ているとめっさ痛いんですよ。 ズタズタですよ。
最後に “絶望” しか残らない物語。 しかもソレ、主人公の絶望だから。
(て考えるとむしろ、 『睡れる月』 は最後に “希望” が残る物語だと思う)




…………ところで。

『睡れる月』上演当初、私の耳に真っ先に入ってきた感想は
「かしちゃんが主人公でした!」 ……だったんですけどね(苦笑)

『銀の狼』 を観て 「チカちゃんが主人公!」 と感じた方はいないと思いますが。
一方で 『睡れる月』 を観て 「どっちが主人公?」 と思われた方ならいるのでは。
ひとつの原因は出番の数でしょうが(レイの出番は結構少ないと思います)
私的にはむしろ、もっと大きな原因が、別のところに有るのではないかと。


さっきまでの宮様 vs レイ君語りで出した根拠を、そのまま使わせて頂きますが。
宮様は、 “自分が自分であるために、中納言が必要だった” 訳ですが
レイの方はと言うと “シルバがシルバであるために、自分を必要として欲しかった”
つまり宮様は対象に対して能動的ですが、レイは受動的です。 もっと言うなら、
宮様の世界の中心は自分ですが、レイの世界の中心はシルバです。


『睡れる月』の世界は、実のところ、宮様を中心に回っていると思います。
解りやすく、物語を 「起・承・転・結」 に分けて考えていってみますと、
 「起」 → 将軍が中納言に目をつける。 宮様は将軍の暗殺を決意。
 「承」 → 将軍を暗殺する。 中納言は吉野に逃れ、都に戻ってこない。
 「転」 → 宮様は家を護るため、赤松家と組んで吉野に攻め込む。
 「結」 → 兄弟は解り合うが、中納言は死ぬ。 宮様は義弟の転生を願う。
物語の節目節目で能動的に動いてるのは宮様だし、そして何よりも、
総ての発端と結末が宮様の気持ちと連動してるんだもん。 中納言じゃなくて。
そもそも大君も二宮も、べつにヒロインて訳じゃないしさあ(禁句禁句!!)

『銀の狼』 はシルバの物語です。 こちらも同じように4分割してみますと、
 「起」 → シルバは記憶を取り戻したいと願う中、ミレイユに出逢う。
 「承」 → ミレイユが自分の過去に関わっていると知り、彼女を連れ逃走。
 「転」 → 記憶を取り戻し、妻子の仇であるジャン=ルイを殺し、復讐を果たす。
 「結」 → レイと対決し、彼を死なせる。 ミレイユを護り生きると決意。
……整理してみて改めて思いましたがミレイユは立派なヒロインですね!(笑)
「承」 「転」 辺りはレイ抜きでも説明できるしなあ(つーか殆ど出てこないし)(禁句…?)


もうね、 『睡れる月』 は宮様が主人公と言われてもしょーがないと思うよ(笑)
まぁ宮様と中納言とで配役を逆にする訳にもいかなかったんだろーし
(コムちゃんはどうしてあんなに 幼く 若く見えるんだろう…)(特に和モノ)
それから、役者さん達の演技の質的に、宮様が主人公に見えちゃったのも有るかも。
(カシコムだとどうしてもかしち主動のお芝居になると思う)(あくまで主観です)

とりあえず私的には、誰が世界の中心だろーが、誰がヒロインだろーが(笑)
どちらも大大大好きな作品なので、両方共を美味しく戴きましたけどね♪
シリアステイストの悲劇は大好きですし、ドロドロ愛憎劇は大好物ですし(爆)




…………あ、そーか。


『睡れる月』は、ヒロインが主人公の望みを叶えて死んでいく物語、だけれども
『銀の狼』 はヒロイン志望の男が、真のヒロインにその座を譲って死ぬお話。
……って考えると 『銀の狼』 にも新たな “希望” を見出せるかもしれない!(阿呆か)




すみません冗談でした(爆) シメまで好き放題で申し訳無いっす(平謝り)




スポンサーサイト
【2007/02/03 01:07】 | ゆきぐみ観劇日記。 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<いってきまーす♪♪♪ | ホーム | デート報告。>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://toma723kanon.blog50.fc2.com/tb.php/110-ad520630
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。